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東京地方裁判所 昭和34年(行)51号 判決 1960年8月03日

茨城県那珂郡那珂町菅谷三三八五番地

原告

小池きく江

右輔佐人

海老沢清

東京都千代田区内幸町一丁目二番地

被告

関東信越国税局長

古川汎慶

右指定代理人

法務省訟務局付検事

朝山崇

同法務事務官

那須輝雄

同大蔵事務官

内田稔

右当事者間の、昭和三四年(行)第五一号差押処分取消請求事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の申立

原告は、「被告が原告の訴外霞ケ浦砂利株式会社に対する砂利運送代金未収金債権八〇、九八四円につき、昭和三三年二月一〇日にした債権差押処分は、これを取消す訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、被告は、主文同旨の判決を求めた。

第二、原告の請求原因

一、被告は、訴外渡部兵衛に対する国税滞納処分として、昭和三三年二月一〇日原告の訴外霞ケ浦砂利株式会社(以下訴外会社という)に対する同年一月分砂利運送代金未収金債権八〇、九八四円を差押えた。

二、よつて原告は、同月二〇日被告に対し審査の請求をしたが、被告は、昭和三四年一月二〇日「審査の請求は棄却する」旨の決定をし、同月二三日原告に通知した。

三、しかし、被告が差押えた訴外会社に対する前記砂利運送代金未収金債権八〇、九八四円の債権者は、訴外渡部ではなく原告であるから、被告のした差押処分は違法であり、その取消しを求める。

第三、被告の答弁及び主張

一、答弁

原告主張事実中第二の一のうち、原告主張の差押処分が、訴外渡部の国税滞納処分としてなされたこと及び第二の二の事実は認めるが、その余は争う。

二、主張

被告が昭和三三年二月一〇日差押えたのは、訴外渡部の訴外会社に対する砂利運送代金未収金債権八〇、九八四円であつて、被告は次の理由に基づき、その債権者を原告ではなく訴外渡部と認定したものであるから、本件差押処分にはなんら違法の点はない。すなわち、

1  訴外渡部は、従来木工業、土木建築業、旅館業、砂利運送業等を次々と営んだが、そのいずれもが不振となり、昭和三一年九月頃から、原告方に同居するようになつたものであるが、その頃旧知の訴外会社社長塙卯之松が渡部を再起させるべく、同人に同会社の採取した砂利の運送を主体として砂利運送業を営むことを勧めたので、同人は従来の経験をいかし砂利運送業を営むに至つたものである。

2  原告は、渡部が原告方に同居する以前、薪炭販売業、自転車預り業を営んでいたもので、砂利運送業の経験はないし、又渡部が同居後行なうようになつた砂利運送業にも全く関与していない。

3  渡部は、昭和三一年九月頃砂利運送業を営むに当り、茨城いすゞ自動車株式会社から運送用の貨物自動車を一台購入したがその際同人が、買主となつて代金を支払い、ガソリン代修理代も同人が負担している。

4  訴外会社に対する砂利運送代金の請求、代金の受領も、昭和三四年二月七日までは、全て渡部がその名において行なつている。

従つて、右砂利運送業は渡部が営んでいるものであり、訴外会社に対する砂利運送代金債権も渡部の債権であること明らかである。

第四、被告の主張に対する原告の陳述

被告の主張事実は全て争う。訴外会社塙社長の援助を受け、砂利運送業を営んでいたのは原告である。すなわち、訴外渡部は原告が同社長の紹介により雇傭した運転手にすぎず、原告の代理人として、砂利の納品、代金の請求、受領をしていたものである。従つて訴外会社から受領する約束手形も原告宛であり、茨城いすゞ自動車株式会社から貨物自動車を購入したものも原告であつて代金、維持費、自動車税等全て原告が負担している。

第五、証拠関係

一、原告は、甲第一ないし第七号証、第八号証の一ないし四、第八号証の六、第九号証の一、二、第一〇ないし第一二号証を提出し、証人渡部兵衛の証言を援用し、乙第一ないし第四号証、第七号証、第九号証、第一〇号証の二ないし九、第一四号証の成立は認めるがその余の乙号各証の成立は知らないと述べた。

二、被告代理人は、乙第一ないし第九号証、第一〇号証の一ないし九、第一一号証の一ないし五、第一二ないし第一四号証を提出し、証人内田稔、同野本昭、同三堀秀一、同根本武夫、同植木ハルの各証言を援用し、甲第二ないし第四号証、第八号証の四、六、第九号証の二、第一〇ないし第一二号証の成立は認めるが、その余の甲号各証の成立は知らないと述べた。

三、当裁判所は、職権で原告本人小池きく江の尋問をした。

理由

一、被告が原告主張の日時訴外渡部の国税滞納処分として、訴外会社に対する砂利運送代金未収金八〇、九八四円につき差押をしたこと、原告が右差押処分につき昭和三三年二月二〇日被告に対し、審査の請求をし、被告が昭和三四年一月二〇日、審査の請求は棄却するとの決定をして原告に通知したことはいずれも当事者間に争いがない。

二、そこで被告が差押えた訴外会社に対する砂利運送代金未収金八〇、九八四円の債権者がはたして訴外渡部であるか否かにつき判断する。

(一)  成立に争いのない乙第一、第四号証、証人三堀秀一の証言により真正に成立したものと認める乙第一三号証の各記載及び証人三堀秀一、同内田稔、同野本昭の各証言に本件口頭弁論の全趣旨にあわせると、訴外渡部は水戸市内において、タクシー業、土木建築請負業、旅館業、砂利運送業、青果物、材木運送業等次々といろいろな事業を営んだが、いずれも失敗に終つたため多額な借財を背負い、税金も滞納するようになり、社会的信用を失い、ついには失職状態となつて、昭和三一年八月末から、原告方に寄食し生活を共にするに至つた。原告は肩書地でその前から自転車預り業及び飲食店を営んでいたが、渡部と旧知の訴外会社社長塙卯之松は、右渡部の立場に同情し、同人の再起を援助するため、原告にも口添えの上同会社で採取する砂利の運送を専属に扱う砂利運送業を始めることをすすめたので、渡部は自動車の運転も出来、又同業の経験もあるところから、その窮極の営業主体がなんびとであるかはしばらくおき、右渡部が実際の事にあたつてあらたに原告方を本拠として砂利運送業を始めるに至つたことが認められる。証人渡部兵衛の証言及び原告本人尋問の結果のうち上記認定に反する部分は、前記各証拠に照らしにわかに措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(二)  成立に争いのない乙第九号証、第一〇号証の四ないし九、第一四号証及び証人野本の証言により真正に成立したと認める乙第一〇号証の一、証人内田の証言により真正に成立したと認める乙第一一号証の一ないし五、証人三堀の証言により真正に成立したと認める乙第一二号証及びに証人根本武夫の証言を総合すると、訴外会社との砂利運送取引は、昭和三一年九月三日から始められているが、それ以来昭和三三年二月七日ごろまで約一年五カ月の間、訴外会社に対する運送代金の請求はすべて渡部の名でなされ、右代金の受領に際しても、渡部が自己名義の領収証を発行していること、砂利の運送、代金の請求、受領、貨物自動車の修理等営業全般を渡部が実際に担当していること、訴外会社では運送代金支払のため受取人を渡部とする約速手形を振出し交付することもあること、その間渡部が訴外会社に対し原告の代理人として取引していると申立てたことはなく、訴外会社としても渡部を砂利運送契約の相手方として帳簿上の処理その他の事務を処理して来たことが認められる。

以上認定の各事実に成立に争いない乙第三号証の記載及び本件口頭弁論の全趣旨をあわせ考えれば、原告は訴外会社塙社長と共に渡部の再起を援助し、同人をして自分方に同居せしめて砂利運送業を営ましめたものであり、その取引の方法内容からみて、少なくとも昭和三三年一月当時までの砂利運送業は渡部の営業であり、訴外会社との砂利運送契約の当事者は渡部であり、同人が右契約から生ずる権利義務の主体であつたものと認めるのが相当である。

三、もつとも原告は、渡部は原告が雇傭した運転手にすぎないと主張し、証人渡部の証言により真正に成立したと認める甲第七号証、同第九号証の一、成立に争いのない甲第九号証の二、証人渡部の証言、及び原告本人尋問の結果中には右主張にそう記載ないし供述部分も存在するが、仮に原告主張のように渡部が一介の運転手であるとするならば、前示認定の如く一年余も渡部名で代金の請求受領が行なわれたり、手形の援受が行なわれることはきわめて不自然であつてなつとくできず、この点に関する右各証拠は、前段認定に供した各証拠に照らしにわかに措信しがたい。また原告本人尋問の結果により真正に成立したと認める甲第六号証(金銭出納覚帳)中にはあたかも渡部に対し給料が支払われていたかの如き記載がみられるが、同号証は昭和三一年九月ごろからの収入支出を雑記帳に雑然と書いたメモ程度の記録であり、各月の収入支出の合計額や残高の記載もないようなものであつて、全体として商業帳簿としての価値は低いものといわざるを得ないのみでなく、「渡部」に関する記載がはじめてあらわれるのは昭和三二年六月五日の分からであり、しかもその記載はとくに前後のそれとインクの色が違つている個所も二、三に止まらず、筆書きや欄外に記入された部分も認められるものであつて、はたして当該収支の都度正確に記入したものといいうるかは疑わしく総じてその信憑性に乏しいものと解せられ、同号証をもつて原告と渡部の雇傭契約を認めるに足る的確な証拠とはなし難い。

さらに成立に争いのない乙第三、第七号証、証人三堀の証言により真正に成立したと認める乙第八号証及び証人内田、同三堀の各証言、原告本人尋問の結果を総合すると、前記砂利運送業を営むに必要な貨物自動車の購入に際しては、渡部が茨城いすゞ自動車株式会社の販売課員岡力雄と交渉し、同会社では原告とは面識がなかつたけれども、渡部の娘が同会社に勤務していることから渡部を信用して、中古ニッサン号貨物自動車一台を代金九一三、〇〇〇円で売渡すこととし、昭和三一年八月三一日買主を原告とする自動車月賦販売契約書を作成したこと、その後一部代金支払のあつた後昭和三二年四月一七日右ニッサン号を同会社に売渡し、改めていすゞ号貨物自動車一台を代金一、九六四、〇〇〇円で買受けることとし、前同様の月賦販売契約書を作成したことが認められる(被告は右各貨物自動車の真実の買主は渡部であると主張するけれども、右主張に副う前示乙第七、第八号証、証人内田、同三堀の証言も後記証拠と対比すると右主張を肯認するに足る的確な証拠とはいえない)。そして前示乙第三号証及び原告本人尋問の結果によれば、当初の右ニッサン号購入に際し支払われた頭金一五〇、〇〇〇円は、原告が那珂郡大宮町照田に居住していた頃の薪炭の仲買及び飲食店からの収益等による貯金をこれにあてたものであり、いすゞ号購入の際の頭金二〇〇、〇〇〇円のうち一〇〇、〇〇〇円は、原告が取引していた株式会社常陽銀行菅谷支店から借用し、残一〇〇、〇〇〇円は訴外会社より借入れる等によつて調達したものであるが渡部は内金の一部も負担していないこと本件差押後もいすゞ号は依然原告のものとして現に原告が使用していることが認められ、結局右自動車の買主は原告であつたことがうかがわれる。

しかし前記乙第三号証の記載及び原告本人尋問の結果によれば、原告としては訴外会社社長のたのみもあり渡部を援助して同人に尽しはするものの、同人には水戸市内に妻子があり現在の困窮の状態を脱すればいつ妻子のもとへ帰るかも知れず、原告としてはそうなつては今までの渡部に対する援助も水泡に帰すから、貨物自動車だけはあくまで確保しておきたいと考えまたそうすれば渡部が去つたあとも原告の二男が生長して同じ事業を継承できるという考えであつたことが認められ、また証人根本武夫同植木ハルの各証言に原告本人の供述をあわせれば右使用中の自動車のガソリン代や修理代は渡部が訴外会社から支払われる運賃の一部で支払つていたことが認められるから、右自動車が原告のものであつても原告はこれを渡部が砂利運搬をするのに貸与して使用せしめていたものと推認すべきであり、これによつて前認定を左右するには足りない。さらに前示乙第三、第一四号証、証人内田の証言、原告本人尋問の結果によれば、渡部は砂利運送業による収益を株式会社常陽銀行菅谷支店にある原告の普通預金口座に入金したり、訴外会社が渡部宛振出した約束手形を、自動車月賦金の支払のため茨城いすゞ自動車株式会社に裏書譲渡したりしたことがあること、又原告も同様の目的で、同会社に対し前記常陽銀行菅谷支店を支払場所とする約束手形を振出していることが認められ、砂利運送業による営業利益は必ずしもしかく判然と渡部にのみ帰属したものとはいいがたく少なくとも可成りの部分が原告の所得と混同しているものと推認される。しかし前認定の事実からうかがわれるように当時渡部は妻子とはなれて原告と生活を共にし、物心両面にわたりその援助を受けていたものであり、この事情を考えれば前記のような事能はおのずから肯認されるところでありこれまた前認定を左右するものではない。その他に前認定をくつがえし、右砂利運送事業が当時原告自らの事業であり訴外会社に対する未収金が原告の債権であることを認めしめるに足りる的確な証拠はない。

四、そうだとすれば、被告の差押にかかる訴外会社に対する砂利運送代金未収金債権の債権者は渡部であり、被告の差押処分には何らの違法も存しないものといわねばならない。

よつて原告の本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 浅沼武 裁判官 小中信幸 裁判官 時岡泰)

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